【実施レポート】こども哲学教室ソフィー@オンライン

今回のソフィーは「透明になれるとしたら何をしたい?」という、もしもを考えることから始まりました。被ると透明になれるマントや、被ると周りの人からはただの石ころにしか思われなくなる帽子。映画や漫画で登場する想像上の道具をもし本当に手に入れたとしたら、どんな使い方をする?何をしようかな?
「お店にあるアイスをぜーんぶ食べる!」という答えを皮切りに、普段入れない場所に入る、宝くじを盗みに行くなど色々な答えが元気よく返ってきました。欲望にストレートな答えだったり、意外と控えめな使い方だったり、こどもたちの豊かな想像力と素直な気持ちがとても面白かったです。さて次に、その道具はどんな使い方をする‘べき’か?と、こどもたちに尋ねました。

嫌いな人を殴るのはだめ、盗みはお店の人が困るから良くないと思う、など各々が思う良い使い方と悪い使い方を出し合います。対話はそのまま展開していき、「でもバレなければよくない?」という問いかけから、他者にバレなければ何をしてもよいのか?という議論に。

バレなきゃいいってわけじゃない。どんなことならして良いの?人に迷惑かけないなら何でも…。ルールならなんでも守らなきゃいけないってこと?ルールは守るも守らないも理由が大事なんじゃない?
誰にも見つからないとわかっていても、なんとなく悪いことをしてはいけないような気がする…。
様々なシチュエーションを想像し頭を悩ませながら、ルールを守る必要性の話までたどり着きました。

途中、「悪いことをした人がいたとしても仕方ないだけの理由があったらそれは単なるルール破りとは違う」という旨の意見が出てきました。参加者は全員小学生のお子さんでしたが、すでに他者の行動を理解しようとする姿勢を身に着けていることに感心しきりでした。今回のお題だった「透明になれる」ということ、つまり、誰にも見られず何をしてもバレないという状況下では、悪いことをしたら他者に責められたり罰されたりすることがなくなります。懲罰という前提が崩れたそのような環境で、なぜルールを守る必要があるのか?守ろうとするのはなぜなのか?道徳哲学の入口に立った時間でした。
(ライター:浅野)

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アーダコーダ事務局