アーダコーダのさまざまな進行役によるアーダコーダ哲学カフェは、今回、大前みどりさんの進行で行われました。大前さんに出していただいたテーマは「うしろめたさ」。
まず、このテーマについて、それぞれが考えたい問いやその背景を聞いていきました。そして、みなさんに選ばれた問いは「うしろめたさを忘れることはできるのか。どう扱うのがいいか」。
過去の行為に対するうしろめたさを抱えて苦しいので忘れたい、という発言に対して、その気持ちを覚えているからこそつながる未来もあるという肯定的な意見も。さまざまな年代、立場の参加者がいるからこその対話の広がりがあったように思いました。
対話の中で気になったのは、「うしろめたさ」が「後悔」になるタイミングがあるのでは?という視点や「うしろめたさ」と「罪悪感」には境界があるのでは?という考え。また、忘れられず苦しいという人がいる一方で、そもそも「うしろめたさ」をすぐに忘れてしまう人も一定数いるようで、その違いはどこにあるのか?と次々とみなさんに聞いてみたい問いが生まれる中で終了時間を迎えてしまいました。
(ライター:わさ)