アーダコーダのさまざまな進行役によるアーダコーダ哲学カフェは、今回、三浦美沙さんが進行役を務めてくれました。
テーマは「”わたしたち”とは誰のこと?」。
このテーマを考えたいと参加してくれた方もちらほら。「わたしたち」という言葉を使うときに、どのようなことを考えているかを共有し、そののちに「わたしたち」を問いの形にして挙げてもらいました。投票で選ばれた「わたしたち感覚がないとコミュニティは実現しないのか?」を問うにあたり「わたしたち」と「コミュニティ」の関係を捉えようと対話が進みました。コミュニティと言っても、偶然同じ場所に住む地縁のようなコミュニティもあれば、意図して作られたコミュニティもあることがわかってきました。みなさんの話を聞きながら、偶然同じエリアに住んでいるバラバラの人たちも、共通する何かが生じる(近所の飼い犬がうるさい、お祭りを楽しむなど)時に、「わたしたち」という感覚を持つもしれないと思いました。
参加者のみなさんは、「わたしたち」にネガティブな印象を持つ声も多かったのが印象的でした。他を排除し、同質性や連帯性を求める側面があること、強力な「わたしたち」もあれば緩いものも存在していること、個人ではなく「わたしたち」といった集団・団体からのメッセージは、より強い印象を受けるが、個人の見解が許されず「わたしたち」としての発言をせざるを得ない場合もあること、を共有し、終盤には、「わたしたち」の輪郭が少しずつ見えてきたように感じられました。普段何気なく「わたしたち」と使っていましたが、その多義性に気づく時間となりました。
(ライター:わさ)
