【実施レポート】こども哲学教室ソフィー:哲学者と考えるシリーズ第2弾「愛」

今回は以前体験に参加してくれた方が2人も新しい仲間として加わってくれました。嬉しいです。

さて、昨年11月に哲学者と考えるシリーズ第1弾で「ウソ」を取り上げましたが、今回はその第2弾として「愛」をテーマにしました。

はじめに問い出しをしていると、全体として「好き」「愛」「家族愛」「友愛」などがどう違うのかが気になっているようでした。

まずは愛と好きの違いについて話し始めると、「好きは浅くて、愛は深い」という意見に対し、「じゃあ一目惚れはどっち?」という問いが生まれ、対話が展開していきました。

「好き」派の意見:まだよく知らないから。
「愛」派の意見:「知りたい」って気持ちがもう愛なのでは?
「思い込み」派の意見:一瞬のことで、その高揚感がその人に対するものか判断できない(自分の気分の問題かも)

子どもたちの意見は圧倒的に「好き」が多数派でしたが、「愛」派「思い込み」派の意見にも真剣に耳を傾け、モヤっとした顔で「う~ん」といいながらも「ちゃんと知ったら愛にわかるかも」など、自分と違う意見の中にも合意できる部分を具体的に見つけ出そうしている様子が見られました。

最後にプラトンの言葉を紹介して、子どもたちの意見を聞いてみました。
「真の愛とは、自らの“片割れ“を見つけることを意味するのだ」
「愛は一つになりたいという願いである」(プラトン)

「寂しい・孤独だから愛し合うってこと?」
「人を好きになる時は自分にどこかかけているところがあるってこと?」
「別にお互いが欠けている必要ないんじゃない?(欠けていなくても愛し合える)」
などなど、更なる問いの種が出てきたところで時間が来てしまいました。

子どもたちの年齢を考えると「愛」や「恋」など大人に比べて実体験で考えられる部分が少ないかもしれません。ただ、それに対して抽象⇔具体を行き来しながら、自分の言葉で問い合おうとしてくれていて、まさにこの姿勢こそが哲学対話で一番大切なことだなと改めて思いました。

哲学者と考えるシリーズ、不定期ではありますが今後も続けていきたいと思いますので、引き続きpeatixでチェックしてみてください。なお、子ども哲学教室ソフィーは毎月2回実施しておりますので、他のテーマもぜひ参加ください。(ライター:山崎)

この記事を書いた人

アーダコーダ事務局