旭硝子第3回ビジネス哲学対話アドバンス研修

「AGC旭硝子 中央研究所」にて、社員を対象とした、哲学対話の研修を行いました。


イベントの概要

● 内容:

● 日時:2017年6月19日(月)

● 時間:2時間

● 対象:研究所の社員

● 研修運営:NPO法人 こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ

ファシリテーター

川辺 洋平

レポート

● 6月19日(月)

今回は対話参加者の周りには各部署から見学に来た社員の皆さまがずらりと並ぶ、少々緊張した空気の中からスタートしました。 まずは哲学対話についての簡単な紹介をし、5つのルールや「意見を変える勇気」「相互理解」などいくつかの哲学対話を通して得られる経験についての話をしました。

質問ゲーム

早速、対話の練習の「質問ゲーム」からスタートです。「自由は必ずしもよいとは限らない」というお題に対し、1.なぜなら、自由だと何をしたらよいか分からないから、2.なぜなら自由があると差が生まれるから、3.なぜなら、自由だとまとまらなくなるから、4.なぜなら〜(その他回答)という選択肢から1つを選んでその選択について質問し合います。「どれを選びましたか?」という質問から、「どうして?」「具体的には?」「仮に誰も選ばなかった①だったらどうですか?」など、どんどん質問し合うことで場が温まってきます。用意された選択肢のなかから選ばない自由もあるのでは?など、自由とは何かを考える空気ができたところで哲学対話に入りました。

哲学対話

時間を有意義に使うために、事前に参加者が問い出しをしてくださっており、テーマは「会社における自由とは?」に決まっていました。非常に密度の濃い対話の内容でしたが、いくつかのトピックにまとめて、印象的な対話の概略をまとめてみたいと思います。

「業務上の自由裁量/職務上の自由な活動」

ものづくりのプロセスでは、予算と時間の制約の中、自由に発想しているという感覚を感じることもある。一方で、担当業務外の職務に目を向けると、発言や行動には制約があるとも言える。会社の中の業務に限れば、自由とは裁量であり、裁量が増せば、責任も増してしまう。と同時に、年齢や経験を重ねることで得られる自由も会社にはあるようにも感じる。

「会社に自由は存在しないのではないか」

そもそも会社に自由はあるのだろうか。自由の反対言葉はなんだろうと考えると、拘束という言葉があり、拘束と聞くと会社という言葉がうかぶ。そうだとすれば、会社は拘束される場所であり、会社には真の自由はないのだろうか。しかし矛盾するようだが、自分自身を振り返ってみると、会社では自由を感じている。いったい会社における自由とは何なのか。

「人によって自由は違うのではないか」

仮に、自由の定義は、人によると考えたらどうか。自由というものを説明できる1つの言葉があるのではなく、自由とは、人によって定義が異なるものであると考えてみてはどうか。そうだとすれば、「わたしにとっての自由」についてそれぞれが考えてみるのはどうだろうか。

「自分のしたいことができれば自由なのか」

ひとりひとりが自由だと感じる状況をきいてみると、「自分のしたいことができる」というのが自由の共通点であるように感じる。しかし、自分のしたいことができれば、本当に自由なのか。仮に、自分のしたいことが、会社にない人や、今はちょうど自分のしたくない仕事をしている人には会社の自由はないのか。

メタダイアローグ

最後に「メタ対話」で自分たちの対話を振り返りました。普段から裁量の中で責任を持ち仕事している自分自身に気づいた方、自分と他の人の意見の違いを感じ取れた方、結論を出さなくてよい会議に手応えを感じた方、既に職場でも導入していて手応えを感じている方など、それぞれの気づきが寄せられました。「本音が出てきたことがよかった。今日の対話は100 点満点を超えていたのではないか。日頃から職場に導入してほしい」という研修担当者の熱い想いのこもった挨拶でこの日の哲学対話は終了しました。

AGC旭硝子中央研究所の皆様、ありがとうございました!

(桑原)

この記事を書いた人

アーダコーダ事務局